歌や踊りは遺伝子的欲求?

私は音楽が趣味だとこのブログでも度々書いている。

音楽は人それぞれの趣味嗜好が別れやすいジャンルだと言える。

ポップス好きがいればメタル好きがいたり、ジャズやロックなど様々。

ハードロックみたいなやかましいのは嫌い!という人が居たり、クラシックは眠くなるしよくわからないという人は沢山居る。

でも音楽自体が大嫌いという人には出会ったことはない。誰しもが何らかの好みの音楽を嗜んでいると思う。

音痴だからカラオケで歌いたくないという人は居る。過去に馬鹿にされたことがあったり、他人の評価を気にした結果、自分は下手だと思っているから嫌だというものである。

でも他人の評価とかは気にせず、純粋に歌う行為自体が大嫌いだという人にも出会ったことがない。

踊りも同様で、リズムに合わせて踊るのが嫌いな人はいないと思う。上手く踊れないとか他人の目が気になるとか、外的要因のせいで避けているだけである。

食べ物の好き嫌いに近い話かもしれない。食べるという行為が嫌いな人はいないけれど、ピーマンが食べられないとかは人によってある。ちなみに私は納豆がダメです。笑

 

なぜこんなことを書いたかというと、遺伝子的に楽しいと組み込まれているであろうものでも、環境によって嫌いになってしまうことは往々にしてあるということ。

歌が好きで歌っていたけれど、馬鹿にされたせいで人前で歌えなくなってしまったこと。

自分は音痴だからと歌に限らず、楽器演奏なども敬遠してしまう人がいること。

踊りにも興味があるけど自分なんかが…と始めることすらせずに諦めてしまうこと。

ただ、私の経験談からいうと、始めてみて続けることができれば、大体は一般の人よりも上手くなれるし、自信にも繋がる。

なのでどんなにやめておいた方がいいと言われたことでも、とりあえずやってみたらいいと思う。

 

私は芸人のスピードワゴンの小沢さんの5倍は歌が下手で、それもあって元々はカラオケが嫌いだったけれど、現在はB’zをカラオケで歌うくらいには音域が広がって上手だと言ってもらえることもある。

高校生の時にバイトで稼いで歌とギターを習いに行って練習しまくったんだ。それで上達した。

もちろん趣味レベルの話。ただ少なくてもカラオケを楽しく過ごせるくらいの歌唱力にはなった。

歌を家で一人で歌うのも楽しいけれど、人前でも歌えるくらいにはなりたくて、カラオケとか些細な機会でも人前で歌う機会があった時、ほんとは歌いたいのに他人の評価を気にして歌えないというのが強烈なストレスだった。

カラオケとかだとお前歌わないのかよーという謎の圧力もあるし。

よく何をやったらいいかわからないと迷ったときに、この「他人からの評価」を無意識に、しかもかなり深刻に意識してしまい、やりたいことを除外してしまっていると思う。

除外せず何でも試していける人になりたい。

 

ちなみにほんとに音楽や踊りを楽しむという行為が遺伝子レベルで人間のカラダに組み込まれていると信じているのだが、参考文献が見つけ出せずにいる。誰かそういったデータや資料があれば教えてほしいです。

 

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